サンティアーゴ・デ・クーバ Santiago de Cuba
サンティアーゴ・デ・クーバ州
人口 約44万人
概要
1515年にスペインのキューバ総督であったディエゴ・デ・ベラスケスDiego de Velazquezによって造られ、1523年から1589年まで、キューバの首都として繁栄した。
カリブ海に面したマエストラ湾岸にある港湾都市。現在も重要な貿易港となっている。
1514年に、ディエゴ・ベラスケスによって開かれた街。1522年から・キューバの首都だった。
しかし、海賊の襲撃をしばしば受けたため、湾の入口にモロ要塞(世界遺産)が建てられた。
1898年に、米西戦争の中の激戦であるサンチャゴ・デ・キューバ海戦が起こった。
戦の舞台ともなったサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城(世界遺産)である。
1953年、フィデル・カストロが率いる反政府軍が市内のモンカダ兵営を襲撃。
失敗してカストロはメキシコに逃れたが、これがきっかけとなりバティスタ政権を転覆させ、1959年キューバ革命が起こった。
サンティアーゴ・デ・クーバは革命の地として知られるところとなっている。
アクセス
空路(国内線)
ハバナのホセ・マルティ国際空港から、
アエロ・カリビアン航空AeroCaribbeanとクバーナ航空が就航 1時間40分
鉄道
2009年から、ハバナ-サンタ・クララ-カマグエイ-サンティアーゴ・デ・キューバ間で夜行列車「Tren Francés」が運行されている(3日に1便)。
フランス国鉄で使われていた客車を輸入したもので、寝台車はなく、2クラスの座席車で運用されている。
また、同列車が運行されていない日には、所要時間の長い夜行列車が運行されている。
しかし、国営鉄道には公式HPがない。
現地の旅行会社でしかチケットは購入できない。
てっちゃん以外はお勧めできない。
バス
ビアスール Viazul社の長距離バス
ハバナから1日4便、所要14時間30分。
見どころ
7月26日モンカダ兵営博物館 Museo 26 de Julio Cuartel Moncada
7月26日はキューバの革命記念日。ここはキューバ革命の火蓋を切った歴史的な場所。
この兵営は1854年に建てられたもので、1952年にクーデターによって政権についたバティスタの軍隊のキューバ国内第2の規模を誇る兵営であった。
1953年7月26日早朝、フィデルとラウルのカストロ兄弟が率いる120名の反政府ゲリラ隊が兵舎を襲撃した。しかし、この作戦は失敗に終わり、多くの仲間が犠牲になり、カストロも逮捕される。
カストロらは捕らわれるが、その後に恩赦で出獄しメキシコに渡り、反バティスタの組織する。
7月26日運動(M-26-7)を結成する。態勢を立て直して1959年のキューバ革命へとつながる。博物館には襲撃時の様子を伝える資料などが展示されている。建物には無数の弾痕が残る。
革命軍の腕に付けられている「26」の数字は、この日を忘れないという意味が込められていたのだ。
General Portuondo y Avenida Moncada, Santiago de Cuba
サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城(モロ要塞)Castillo de San Pedro de la Roca del Morro
旧市街から南西約10km、アントニオ・マセオ国際空港の近くに位置する。
スペインが誇っていた無敵艦隊がドーバー海峡で英国軍に撃破されたため、1588年、カリブ海の重要拠点であったこの街を守る堅牢な要塞として建設。
イタリア人建築家によるルネッサンス様式で設計された堅固で優美な要塞には武器庫や砲台も完備され、完成後もイギリス軍の攻撃にも耐えられるよう増築と修復を繰り返し、現在の姿となっている。1978年からは博物館として一般に開放されている。
1997年に世界文化遺産に指定された。
日曜日の18:40に大砲の儀式が行なわれる。
キューバ歴史博物館(ベラスケスの家)Museo de Ambiente Histórico Cubano (Casa de Diego Velázquez)
スペイン人ディエゴ・ベラスケスは、16世紀にサンティアーゴ・デ・クーバを建設した、当時のキューバ提督。
キューバで最古とされるアンダルシア様式のこの建物が歴史博物館となっている。
金の鋳造に使用した釜の跡が残っている。植民地時代に集められた金は、ここで延べ棒に変えられ本国に送られていた。2階はベラスケスの住まいだった所で、使っていた古い家具や16世紀から19世紀の調度品や装飾品などが展示されている。
Tel=Felix Pena No.612 esq. Aguilera
Museo de la Lucha Clandestina
1956年11月30日、モンカダ兵営襲撃失敗後にメキシコに亡命していたフィデル・カストロが、チェ・ゲバラら仲間とグランマ号で革命遂行の為に再びキューバを目指していたころ、時を一にして仲間たちが襲撃しようとした警察署だった建物。
グランマ号は定員オーバーと悪天候の為、予定の日に上陸できなかったという。
この計画は失敗に終わっている。
ここには、地下組織の当時の活動の様子などが展示されている。2階のバルコニーからの眺望がいい。日・月曜休み
グランマ号上陸記念国立公園 Parque Nacional Desembarco del Granma
カストロとチェ・ゲバラが革命を志しグランマ号で上陸した歴史的にも重要な地。
カリブ海に突き出た半島。
半島を走るシエラ・マエストラ山脈の西側は多くの河川が形成するカルスト地帯となっており、国立公園として指定されている。水深180mのところまで石灰岩の海岸段丘となっている大変珍しい場所で、500種以上の動植物が生息している。
1999年、世界自然遺産に指定されている。
サンタ・イフィヘニア共同墓地(ホセ・マルティの墓)Cementerio de Santa Ifigenia
市の中心から北西へ1kmにある大きな墓地。
1868年に、独立戦争の犠牲者と黄熱病で亡くなった人たちの為につくられた。
ここにはキューバ建国の父ホセ・マルティの墓がある。
スペイン統治時代の6州を表す6本の石柱で囲まれたドームの中にあり、ホセ・マルティの石像の立つ石棺に、キューバの国旗に包まれて収められている。
ドーム内にはラテンアメリカ諸国の国の紋章が並ぶ。
この墓地には、ほかにも、
ラム酒のハバナ・クラブの創始者バカルディの息子の墓や、モンカダ襲撃で亡くなった革命軍のメンバーの墓がある。
バカルディ博物館
ラム酒「バカルディ」を産み出したバカルディ一族の邸宅を利用した博物館。
エミリオ・バカルディ(1844~1922)はサンティアゴ・デ・クーバの初代市長を務めた人。
革命後にバカルディが亡命するとその技術がプェルト・リコに移され、キューバではハバナ・クラブと名前が変わった。
一族が住んでいた邸宅は、1899年に建設されたネオクラシックな造りで、1階は歴史、2階は芸術、3階に考古学の展示物がある。
コーヒー農園発祥地(ラ・イサベリカ) Paisaje arqueológico de las primeras plantaciones de cafe(La Isabelica)
キューバの南東部、シェラ・マエストラ山脈の支脈グラン・ピエドラGran Piedra周辺には、フランス人が造った大規模なコーヒー農園が今も残されている。
19世紀はじめ、隣の島のハイチから亡命してきたフランス人農園主とその奴隷が開拓したもので、初期のコーヒープランテーションの様子をよく伝えている。
2000年、世界文化遺産に指定された。
ナイトライフ
トローバの家 Casa de la Trova
ラテン音楽のライブハウス
1844年に建設された音楽会館で、もともとはクラシック音楽のコンサートが開催される場所だった。
1950年代になってソンやサルサといったキューバ音楽の原点とされるトローバの拠点として運営されるようになった。
1996年の映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のミュージシャンであるエレディア・オチョアやコンパイセグンドなどのメンバーも輩出したホールとして有名になり、昼夜を問わずンなどのライブ音楽が流れダンスを楽しむ人々が集うようになった。
年に2回大きなフェスティバルが開催される。入口のCDショップでキューバ音楽も手に入る。
Calle Heredia s/n, e/San Felix y, San Pedro,Santiago e Cuba
Tel=+010-53-22-62-3943
郊 外
コブレの聖母寺
サンティアゴ・デ・クーバの西20kmにある。
キューバの守護聖人であるカリダーと呼ばれる褐色の聖母像が安置され、キューバ人にとっての聖地で、参拝者の姿が絶えない。かつてローマ法王も訪れている。
聖母像は35cmほどの小さなもので、祭壇の中央部に安置され、黄金のマントをまとって幼いイエスを抱き抱えている。
ヘミングウェイの「老人と海」に登場する教会のモデルにもなっており、主人公の老人が「この魚を釣り上げて持ち帰る事がかなったら、コブレの聖母マリアにお詣りすることを誓ってもいい」とつぶやく場面がある。
ノーベル文学賞を受賞したヘミングウェイが、そのノーベル賞のメダルをこの教会に奉納していることでも知らrている。それに因んでスポーツ選手などが奉納した沢山のメダルが堂内に置かれている。(非公開)