ハバナ Habana
正式名=サン・クリストーバル・デ・ラ・アバナ San Cristóbal de La Habana
標高 59 m
人口 約220万人
概要
スペインの植民地として都市されて、1514年にキューバ島に居住地づくりが始まって、はじめにサンティアゴ・デ・クーバに首都がおかれたが、1553年にハバナが首都となった
キューバ島北西沿岸のフロリダ海峡に接する地点に位置し、カリブ海域における最大の都市に発展していった。
1982年に世界遺産に指定されているのは、オールド・ハバナ(旧市街)で、見どころは多い。19世紀後半の黄金時代に財力をつぎ込んで建てられた見事な建造物が町中に多く残されている。
スペインの植民地経営の中心地として、カリブ海の交易中継地として発展したハバナの港は、フランス軍やイギリス、オランダの海賊たちなど敵対勢力の格好の標的となり、スペイン人はこの街を要塞化していた。
港から運河へ入る入口の両岸に堅固な要塞を造り、街が守られていた。
市街地はスペイン・コロニアル建築が建ち並び、17-18世紀のバロック様式、新古典主義の建物が建てられていった。
その後、アメリカの後ろ盾でさらに発展してきた。
アメリカの支配下にある間、1920年代にアメリカで禁酒法が施行されると、キューバへのアメリカ人観光客の流入が急増し、富豪の別荘が多く建ち並び、リゾート地が生まれていった。
しかし、現地の農民たちの暮らしは一向の楽にならず、不満が募っていた。
1959年のキューバ革命により、キューバ社会主義政権が樹立。1959年まで長い間、経済封鎖が続いていた。市内の商店やホテルが国営化され、大邸宅はことごとく学校や公共施設に流用された。長い間、食料不足で市民には配給制が敷かれていた。
アメリカとの国交が回復してアメリカとの直行便が復活して再びアメリカ人が急増中になって、市街地がにぎわっている。
アメリカが実質支配していた時代の置き土産となった、アメ車をハバナの人は修理しながら大切にして観光タクシーとして活躍している。
また、ハバナは文豪ヘミングウェイゆかりの地でもあり、彼の小説に出てくる舞台や滞在したホテルや住居、バーなどがそのまま残され、観光資源になっている。
ハバナ市内の交通機関
長距離バス
いくつかのバス会社が運行させています。
ハバナからリゾートに行くバス(バラデロなど)は、人気路線なので旅行会社などで手配した方が確実である。
ビアスール Víazul は空調完備のバス。ハバナ、サンタクララ、カマグェイ、サンティアゴ・デ・クーバを結んでいる。
ハバナでは革命広場 Plaza de la Revolución から南西にある動物園の近くにターミナルがある。
http://www.viazul.com/
鉄道
ハバナのラ・コウブレ La Coubre駅からはサンタ・クララ、カマグェイ、サンティアゴ・デ・クーバを結ぶ特別列車は比較的信頼でき、ほぼ毎日運行している。
到着時刻は全くあてにならない。
キューバ唯一の電気機関車「ハーシー鉄道」が、カサブランカ(ハバナ旧市街)とマタンサス間を運行。マタンサスからバラデロへはタクシーかバス移動が便利である。
鉄道ファンが日帰りしようとする場合には、朝早くに出発しなければいけない。当日、復路便があるか確認してからチケットを購入すべきだ。
タクシー
タクシーはCUP払いのものとCUC払いのものがあるが、外国人観光客はCUP払いのタクシーの利用は不可。
代表的なタクシー会社のキューバタクシー Cubataxi の場合、初乗りが1kmまでCUC1、以後400mごとにCUC 0.14が加算される。支払いはCUCで。
クラシックカー(アメ車)
ハバナ名物のクラシックカーは地元の人向けと外国人向けに分かれている。
外国人専用のアメ車のクラシックカーのタクシーはグランカール社が運行しており、旧市街のホテル前などで拾うことができる。
ココタクシー Cocotaxi
タイのトゥクトゥクやインドのオートリキシャのようなもの。
ココナッツの殻のような形をしたオート三輪タイプ。
2~3km程度の、比較的短い距離の移動に向いている。
料金はCUC払いのタクシーとほぼ同じ。
市の中心部であれば頻繁に走っている。
観光バス
ハバナ・バス・ツアー Habana Bus Tour
市内を周遊する観光バスのハバナ・バス・ツアー がある。
ダブルデッカー(2階建て)のオープンバスで2つの路線がある。
T1コース=30分間隔一周約1時間40分
旧国会議事堂の隣のセントラル公園 Parque Central -ミラマール Miramar 地区のラ・セシリア La Cecilia-フエルサ要塞
T3コース=20分間隔
セントラル公園-カバーニャ要塞-プラヤ・デル・エステ Playa del Este 地区
全路線が1日乗り放題。途中にいくつもの停留所があり、乗り降りは自由。
ハバナ旧市街散策
ハバナ滞在が一両日しかない場合には、旧市街地中心部の散策がおすすめだ。
午後からは暑くなるので、午前中と夕刻が歩きやすい。
なんといってもおすすめは、オビスポ通り Calle Obispoで、一番の繁華街である。
アルマス広場から西へホセ・マルティの像が立つセントラル広場方向に走る通りである。
ヘミングウエイゆかりのホテルやバーなどもこの通りにある。
ゆっくりお茶したり、食べたりしてゆったりした時間を楽しむといい。
午後は暑くなるので、タクシーや三輪トゥクトゥクで旧市街の要塞巡りなどするといい。
値段は少し高くなるが、アメ車の観光タクシーもいい経験になる。
4-5日滞在する場合には、午前中タクシーで旧市街や新市街を巡るといい。午前中3時間くらいチャーターしてめぐるといい。
見どころ
旧市街(ラ・アバーナ・ビエハ地区)
アルマス広場 Plaza de Armas
河から西へ約100mのところにある小じんまりした広場。
周囲は、スペイン植民地時代の面影が残る独特の雰囲気が漂う。
広場の中央には独立戦争の父カルロス・マヌエル・デ・セスペデスCarlos Manuel de Cespedesの像が立つ。彼は1868年10月10日に勃発した第1次独立戦争の火付け役となった人で、以後独立運動のリーダーとして活躍した。像は彼を記念して1925年に建てられたものだ。
この広場では日・月曜を除く毎日9:00~18:00頃の間、古本市が開催されている。
フエルサ要塞 Castillo de la Real Fuerza
ハバナで世界遺産に登録されている、4つの要塞のうちの1つ
アルマス広場の北に隣接している要塞。1555年にはすでに建設が始まっていたという、ハバナで4つのうち最も古い要塞。
当初は木造だったが、フランスの海賊の攻撃に遭ったため、現在は珊瑚石を使って建てられている。
周囲に堀が巡らされた造りとなっている。現在の要塞はおもに南米からの金や銀を貯蔵する場所となっていたという。要塞内には武器などを展示した博物館がある。月曜休業
カメラおよびビデオカメラ持ち込みは有料
市立博物館(旧総督官邸)Museo de la Ciudad
1791年から1898年までスペイン植民地時代にはスペイン提督官邸として、1902年から1920年までは大統領官邸として、その後1958年までは市庁舎として使われていた建物。
スペイン・コロニアル風の建物は1776年に建てられたもの。
パティオにはクリストファー・コロンブスの像が立ち、パティオを囲んで部屋が並ぶ。
総督の部屋や食堂、牢獄が残されているほか、馬車や生活用品、軍服などが展示されている。月曜休み。
オビスポ通り Calle Obispo
アルマス広場から西へ延びる通りで、ハバナのメインストリート。アメリカ人作家アーネスト・ヘミングウェイゆかりの地として滞在ホテルやバーなどがこの通りにある。。
カテドラル広場 Plaza de la Catedral
カテドラルの前の広場で、17世紀の石畳が現在も残されている。
周囲を囲む家々も18世紀前半に建てられたコロニアルなもの。
カテドラル Catedral
アルマス広場の裏手にある荘厳な建築様式のカテドラル。
1555年創建、1704年に再建されたバロック建築の代表。サンティアゴ・デ・クーバから首都が移されたときに作られたものです。正面に建つ2つの塔のうち、右の塔には重さ7トンの鐘がある。
カテドラル前の広場ではオープンエアのカフェが営業しており、四六時中音楽の演奏が行われている。
コロニアルアート博物館 Museo de Arte Colonial
カテドラル広場を挟んでカテドラルと向かい合う博物館。
この広場にある建物の中ではカテドラルを除いて一番古く、1720年に建てられている。
16世紀からの家具や調度品をなどコロニアルアートが展示されている。月曜休み
サン・フランシスコ・デ・アシス修道院
サン・フランシスコ広場にある。
修道院と車道を挟んだ東側の港沿いの建物に
チェ・ゲバラの壁画がある。
キューバでは、チェ・ゲバラに心を寄せる人びとが多い。ゲバラの肖像は、多くの家のそこここにある。
第一ゲバラ邸 Centro Cultural Casa del Che en la Cabana
革命前はバティスタ大統領の義理の兄弟が住んでいた。
革命後、チェ・ゲバラがここに居を構えていた。
カバーニャ要塞の南にある白いキリスト像の近くに位置する白い建物。
現在は博物館になっており、ゲバラが使用していた執務室や寝室、所持品多数が展示されている。
戦いの最中、もともと医師だったチェ・ゲバラはここに診療所を設営し、村人を治療したり、革命軍に参加した若者や子供たちに教育も施していた。
このゲバラの精神が今もキューバに生き続けており、キューバ国民は医療・教育を無償で受けられるのである。
プラネタリウム Planetario de La Habana Vieja
2009年12月に、日本とキューバの外交関係樹立80周年を記念して、日本の援助で造られた。入口には日本人として初めてスペースシャトルに搭乗した毛利衛の名前が刻まれたプレートがある。要事前予約,月・火曜休業
ラム酒ハバナ・クラブ博物館 Museo del Ron Habana Club
キューバを代表するラム酒「ハバナ・クラブ」の歴史と製造過程の1つである圧搾を見学することができる施設。
工場を再現したミニチュアセットや、ラム酒の原料となるサトウキビを運ぶ蒸気機関車が工場内を走り回っている。ガイドツアーは所要約30分で、
ラム酒作りの12の過程を見たあと、バーでラムのテイスティングができる。オリジナルグッズのショップもあり、「ハバナ・クラブ」も販売している。無休
プンタ要塞 Castillo de San Salvador de la Punta
1590年に建設が開始された要塞。ハバナ港 Bahia de La Havanaに通じる運河を守るために、町の建設とほぼ同時に造られた。
内部は16世紀頃から軍艦や商船として使用されたガレオン船の模型やトレジャー船から引き揚げたコインや宝石を展示する博物館になっている。博物館に入らなくても砲台の設置された要塞に上ることができ、ここからの市街が眺望できる。日曜午前のみ、月曜休み
革命博物館 Museo de la Revolucion (Museum of the Revolution)
1920年から1960年の革命前まで、大統領官邸として利用した立派な建物。
スペイン・コロニアル様式で建てられている博物館には、キューバ革命に関する写真や資料、武器などが展示されている。
裏庭には、ガラスケースに収められたヨット「グランマ号」がある。カストロとチエ・ゲバラら革命軍が、メキシコからキューバに密航した際に使用したヨットである。無休
支倉常長の像 Estatua de Hasekura Tsunenaga
2001年には旧市街の北側、運河沿いにあるプエルト通りに面したセスペデス公園 Parque Céspedes にある像。台座は高さ2m、像は身長1.7mで、目的地のローマに向かって扇子を畳んで差し出している。
仙台育英高等学校で行われた在日キューバ大使館特命全権大使の講演で、「支倉常長の像を、両国の交流のシンボルとしてハバナ市に建てたい」と話したことがきっかけで造られ、2001年4月26日に除幕式が行われた。入口に「仙台育英学園寄贈」と記されている。台座に仙台市章があるが、仙台市とハバナは姉妹都市ではない。
常長はスペイン国王フェリペ3世、およびローマ法王パウルス5世に謁見するために、1613年10月28日に牡鹿半島の月の浦(現在の宮城県石巻市)を出帆し、メキシコシティを訪れた後の1614年7月23日にハバナに到着している(慶長遣欧使節)。
ガルシア・ロルカ劇場 Teatro Garcia Lorca
旧国会議事堂の隣にある。
1838年創建のスペイン・バロック様式の建物。外観の華麗な装飾も見事だ。
2つのホールからなる座席数1500席ある。
キューバ・バレエの本拠地となっている。キューバ国立オペラ団や国立バレエ団の公演が定期的に開催される。また、で、国際バレエフェスティバルも開催される。
ガイドツアーで内部の見学ができる。月曜休み
国立美術館 Museo de Bellas Artes Ⅰy Ⅱ
1913年に建てられた建物を修復して国立美術館として開館。2つの建物に分かれており、建物間を徒歩約5分で移動する。
Bellas Artesには16世紀の植民地時代のコロニアルアートから現代までのキューバ美術、Centro Asturianoにはヨーロッパの絵画や彫刻などが展示されている。Bellas Artesは革命博物館の近く、Centro Asturianoは旧国会議事堂の近くにある。
館内の撮影は禁止。日曜午後と月曜休み
旧国会議事堂(カピトリオ) Capitolio Nacional
1929年にアメリカの国会議事堂を模して建てられた。(アメリカの大統領官邸ホワイトハウスがモデルではない)中央に白い大きなドーム天井がそびえている。
高さ98m、幅208mの4階建てで、入口にある彫像は台座と像合わせて高さ15mの巨大なものである。アメリカのものとほとんど変わらない。アメリカの方は幅230m、高さ87mである。
キューバの道路のゼロメートル地点を示す場所があり、そこの床にかつて24カラットのダイヤが埋め込まれていた。現在はレプリカ。無休カメラ持ち込みは有料。
パルタガス葉巻工場 Fabrica de Tabaco Partagas
ハバナの旧市街の旧国会議事堂の裏にあるにある葉巻工場。 1845年に建てられたコロニアルな外観は、一見工場とは思えない、カラフルなコロニアル調の建物である。
葉巻作りの大まかな工程が見学できる。工場内の撮影は禁止。18歳以下の入場は不可。ここで生産される葉巻は入口の売店で購入できる。
現場では入場券の販売をしていないため、事前にホテルのツアーデスクなどで購入ておかないと入場できない。土・日曜休業
ビエハ広場 Plaza Vieja
アルマス広場から南へ約600mのところにある広場。1559年に造られた由緒ある広場で、ヌエバ広場 Plaza Nueva と呼ばれていた。コロニアルな建物が広場を取り囲んでいる。
これらの建物は歴史的な価値があるものの老朽化が進んでいたために修復され、かつての広場の様子が甦るとてもきれいな広場になった。広場付近にはレストランが多い。
自動車博物館 Museo del Automóvil
ハバナはレトロな車が多いため、町全体が自動車博物館みたいな感じだが、じっくりと見たいならこの博物館ががお勧め。
ただ、入場しないで外の通りからでも車を見ることができるので、よほどの場合を除いて無理して入場する必要はない。月曜休み
ジョン レノン公園 Parque Lennon
普通の公園ですが、ベンチにジョンレノンの銅像がおいてあり、横に座って一緒に写真撮影ができる。
ビートルズ全盛の60~70年代にかけて、ハバナの若者たちは、小さな公園に集まって、ビートルズの歌を歌っていた。そこがいつのまにかジョン・レノン公園と呼ばれるようになった。
レノン死後20年の2000年に、ベンチに腰掛けているjン・レノンの銅像は設置された。
熱狂的なフアンが銅像から眼鏡を盗んでしまって、市は昼夜分かたず常設の監視員が置かれている。カストロもここに訪れたという。この彫刻はホセ・ビヤ氏によって作られたものである。
場所は
Calle#15/4 y 6, Vedado
カサブランカ Casablanca 地区
モロ要塞 Castillo de Los Tres Santos Reyes Magos del Morro
旧市街から運河を隔てた向こう側にある。
プンタ要塞の近くにある長さ733mの海底トンネルで運河を横断する。
要塞の中には、トンネルのような通路を歩いて入る。
かつてモロ要塞と対岸のプンタ要塞には太い鎖が渡され、ハバナ港に通じる運河を行き来する船を管理していたという。
要塞の役目を終えると、一時、牢獄として使用されていた。
現在は運河への入り口に位置すらため、灯台が立つ。無休 料金は、外側の見学のみ、要塞内の博物館のみ、灯台も含めた入場料が異なる。ガイドツアーはスペイン語のみ。
タクシーで行く場合、El Morroだけで通じる。
カバーニャ要塞 Fortaleza de San Carlos de la Cabana
旧市街から運河を隔てた向こう側に建つハバナで最も大きな要塞。
地下トンネルを通っていくので、タクシーの利用がおすすめ。
要塞内にはいくつもの部屋があるが、一般公開されているのはゲバラ博物館と武器博物館だけ。ゲバラはここで執務を行っていた。1967年にボリビア山中で銃殺されるまでのゲバラの軌跡がわかる。
旧市街を見下ろせる展望台もある。
毎晩夜の9時からは大砲の儀式がある。スペイン時代の制服を着た軍人が太鼓をたたきながら現れ、一連の儀式のあと大砲に発火、大迫力だ。150年間続けられている。とても混み合うので、早めに到着する必要がある。無休、日中と夕刻と入場料が違う。夕刻がわずかに高い。
ハーシー線 Hershey Electric Railway
カサブランカ駅Casa Blancaからマタンサス Matanzas を結ぶハーシー線は、
1917年に開通した鉄道で、アメリカのチョコレート会社のザ・ハーシー・カンパニー The Hershey Company が、ハバナ郊外に所有していた製糖工場とハバナやマタンサスを結ぶために造ったもの。
革命後は国有化され、現在も当時の車両が使われている。
運行は毎日3往復で、カサブランカからハーシー Hershey までが所要約1時間30分、マタンサスまでが約4時間である。
本数が少ない。ハーシー駅にはかつての工場跡が残っている。
カサブランカ駅の場所は第一ゲバラ邸宅から徒歩約15分のところにある.
ベダード地区(新市街)
新市街の見どころはそれほど多くはないが、カストロ議長の演説
の場となる革命広場をはじめホセ・マルティ記念博物館などは見落
とせない。
革命広場 Plaza de la Revolucion
新市街の中心的な革命広場。
ゲバラやカミーロなど、キューバの顔として知られる人々の壁画が描かれた建物がある。
18mのホセ・マルティの像が広場を見下ろしている。
広場の周りには政府機関、軍のオフィスなど政治の中枢施設が集まっている。
反対側の壁にはカミーロ・シエンフエゴスの建物がある。
ホセ・マルティ記念博物館 Memorial Jose Marti
革命広場を見下ろすように建つ、高さ109mの星形の塔。
塔は、1996年に博物館になる前は共産党のオフィスだった。
博物館はホセ・マルティが亡くなって101年目にあたる1996年に開館した。
ホセ・マルティは1853年ハバナに生まれ、1868年の第1次独立戦争に16歳で参戦。その後欧米での亡命生活を送るが、1895年に革命党を結成し、第2次独立戦争を指導したキューバの英雄である。
館内には、ホセ・マルティに関する資料が展示されている。
市内で一番高いこの塔の最上階展望台からは、市街地を一望することができる。
キューバ鉄道博物館
1859年に開業したクリスティーナ駅 Estación de Cristina の建物と線路を利用した博物館。
1843年アメリカ製の蒸気機関車ラ・フンタ La Junta(現存するキューバ最古のもの)など貴重な車両が展示されている。
ゲバラ研究所(ゲバラ第2邸宅前)Centro de Estudios Che Guevara
2007年にはこの研究所がオープンした。敷地内には、彼のさまざまな写真やなどが展示されている。
エンタメ
キャバレー・トロピカーナ Cabaret Tropicana
キューバの華やかなトロピカルダンスショウやミュージックなどが楽しめるショー。
2000人収容できる巨大なスペースは連日満席状態。
ホテルでタクシーを頼むと、行きと帰りのタクシーをオーダーしてくれる。
タクシードライバーは終了時間を知っているから、帰りの時間を決めて待ち合わせる。
終了時間に一斉に人が出てくるとすごく混み合う。ドライバーの顔や車の特徴を覚えておかないといけない。
ツアーに参加する場合には、ガイドが案内する。
料金は、席の場所によって3種類。カメラ撮影料は別途必要となる。
料金の中に、ウェルカムドリンク(スパークリングワイン、コーラ、ハバナクラブのボトル)とおつまみが含まれている。
営業時間:20:30~翌1:00だが、22:00頃からショウタイム、約2時間でそのあとはディスコタイム。
月曜日休み。(ハイシーズンは営業)
http://www.cabaret-tropicana.com/
ヘミングウエイゆかりの地
ホテル・アンボス・ムンドス Hotel Ambos Mundos
ハバナ市内、オビスポ通りにあるヘミングウェイが定宿としていたホテル。ロビー周りの壁はヘミングウエイの写真で埋め尽くされている。ホテルのパンフレットにヘミングウェイの"El Hotel Ambos Mundos en la Habana, Es un buen
lugar."(ハバナのアンボス・ムンドスは一番の場所だ)という言葉が載っている。彼の泊まっていた511号室は小さな博物館 Museo Habitacion Ernest Hemingway になっていて,ヘミングウエイが使っていたルイ・ヴィトンの鞄やタイプライターなどが展示されている。タイプライターの置かれている机は上下できるようになっている。戦争で足を悪くしていたので、長く座っていられなかったのである。タイプライターにはヘミングウエイの死後に発表された「海流の中の島々」に関連した展示がされている。
(10:00~17:00 宿泊者以外はCUC2)。
Calle Obispo No.153 esq.a Mercaderes,
La Habana Vieja
BP.108-B3 Tel(7)860-9530
ラ・ボデギータ・デル・ネディオ La Bodeguita del Medio
ヘミングウエイが通ったモヒートの名店。
建物の外は観光客が絶えない。外でモヒートをストローで飲んでいる人もいる。
中の生演奏を聴くために。
バーの後ろには、カウンターの上にヘミングウエイがテーブルクロスに直接書かれた彼の言葉が残されている。額縁にかかっている
ヘミングウエイのことば「モヒートはこのお店、ダイキリはフロリディーダ」
フロリディーダ
1817年創業、フローズンダイキリの名店。
店の中のカウンターのいちばん隅っこに、ヘミングウエイがカウンターに肘をついて座っている実物大の銅像がある。ヘミングウエイお気に入りの席だった。ここではダイキリDaiquiriを愛飲していた。
彼のモヒートは、たっぷりの砂糖と少量のレモン汁、ハーブのは、ソーダを入れて、よくかき混ぜて砂糖が解けるようにし、その上にホワイトリカーを注ぐ。これがボデギータのモヒート。ここでモヒート1杯のがツーリストの定番コースのようだ。
近郊
ヘミングウェイ博物館 Museo Ernest Hemingway Finca La Vigía
旧市街から車で約10分の閑静な住宅地サン・フランシスコ・デ・パウラ ( San Francisco de Paula ) にある博物館。
ここはヘミングウェイの住居で、長編小説「誰がために鐘は鳴る」の印税で購入したものである。通称フィンカ・ラ・ビヒア邸(フィンカ・ビヒア邸)。
そして、21年間ここで暮らした。
この家で「老人と海」を書き上げている。ここには日本語に訳されて「老人と海」も置かれている。
現在はキューバ政府が管理し、当時のまま保存されている。日曜休み
Finca la Vigía, San Francisco de Paula
アクセス
ハバナからタクシーで約10分。業 料金 CUC5(コンパクトカメラでの撮影料込み)
コヒマル Cojímar
旧市街から東へ約7kmのところにある漁村。
ヘミングウエイはサン・フランシスコ・デ・パウラの家からこの漁村コヒマルにたびたび通った。
ここはヘミングウェイが晩年に書き上げた小説「老人と海」の舞台であった。
行きつけにしていたレストランが現在も残っている。
ラ・テラサ・デ・コヒマル La Terraza de Cojimar
入口付近のバーカウンターにはいつも観光客でにぎわっている。
ここのレストランの窓からきれいな海と空を眺めながら、食事をしていたのだった。
アクセス 新市街からタクシーで約15分、