コヒマル Cojimar

概要

ハバナの東方、約7kmに位置する、ひなびた漁村、
コヒマル港は波が穏やかな港だ。
その一番奥に漁師たちの船がつながれている。キューバ最大の漁師町である。ここは500人以上の漁師が暮らしている。

ヘミングウエイはこの港から南へ少し行った丘の上のサンフランシスコ・デ・ハウラ村の居を構えていた。そして毎日のようにこの港へやってきていた。
今もコヒマルにはヘミングウエイの足跡が残されている。
海辺に突き出た要塞跡があり、その近くにヘミングウエイの胸像がある。
ヘミングウェイ(1899-1961年)が亡くなった際に、彼を慕っていた地元の漁師たちがお金を出し合って建てたという。
真向かいに円形の天蓋に覆われるような形の中にこじんまりした像が立つ。背丈ほどの石の台座の上にヘミングウエイの胸像がおかれている。

港のそばに、「ラ・テラサ」というレストランがある。
ヘミングウェイがコヒマルに来るたびに訪れた彼の行きつけのところで、地元の漁師たちと酌み交わしては、世間話に花を咲かせていた。
彼がこよなく愛した50年以上前の佇まいがそのまま残されて、今も昔のまま営業を続けている。

店内左奥の海の見えるテーブルが彼の定席で、その席は今もリザーブされている。この席からは漁師が行きかう港の入り口が一望できる。その窓辺の角には小さな胸像がおかれている。

店内にはヘミングウエイの写真もあちこちに飾られている。
その中には、「ヘミングウェイカップ」でカストロ前議長が優勝した時の、ヘミングウェイとのツーショット写真や、であったグレゴリオさんの肖像画などが飾られている。

当時のヘミングウエイの様子はずっと語り継がれている。この店で漁師たちと飲み食いし、子供たちに食べ物を上げていたという。
ボクシング好きで、漁師と腕相撲をしたり、バーでサイコロ遊びをしたり、友達の船長と一緒に釣りにも出かけていた。
ヘミングウエイがいつも注文していたのは、ダブルのラム酒に少なめの砂糖、。「ダイキリ・ヘミングウエイ」と名付けられたカクテルとなっている。ココナッツが隠し味となっている。

ヘミングウエイの大好きだった料理は、魚介とエビのシチュウ、魚の切り身とロブスターを酸味がきいたトマトスープでじっくり煮込んだもの。ヘミングウエイはこのシチュウにご飯を入れておじやのようにして食べていたという。

「ラ・テラサ」の呑み仲間の一人、グレゴリオさんから聞いた話をヒントに、書き上げたのが小説「老人と海」であった。
冒頭はこう始まる。
「その男は老人だった。一人で小舟に乗り、メキシコ湾が流れる海域で漁をして暮らしていた。もう今日で84日間全くつれない日が続いていた。40日目までは少年が一緒に乗っていたが、釣れない日が40日も続くと、少年の両親は、ついに老人は間違いなく「サラオ」になってしまった、と少年に断言した。それが究極的に運に見放されてしまった状態を指すスペイン語だった。」

運に見放されたその老人が漁に出たある日、彼の釣り針に巨大なカジキマグロがかかった。
「老人と海」のクライマックス、巨大な魚との死闘を繰り広がる老人は、カジキマグロに語りかける。「お前は俺を殺す気だな」、老人は心の中で思った。「おい、兄弟、俺はお前ほど大きな奴を見たことがない、お前ほど美しいやつは、お前ほどけだかいやつは見たことないんだ。さあ、殺せ!」どっちがどっちを殺そうと構うことがない。(新潮文庫・福田恒存訳)。
カジキマグロとの壮絶な戦いを制した老人、しかし、その帰り道、不運にもサメの群れに遭遇、容赦なく襲ってくるサメたちは非情にも獲物の全てを奪ってしまった。
老人は思う。いくら傷つけられようとも、人間は負けることがない。貧しいということは、弱いということではなく、心が折れた時が人生の敗北なのだと。
ヘミングウエイはこの小説に厳しい自然とともに生きる人間の矜持(きょうじ)を書き込んだ。

コヒマルの漁師たちの海に対する思いをヘミングウエイは「老人と海」の中で次のように書き込んでいる。
「老人はいつも海は人々が愛情を込めて呼ぶときのスペイン語「ラ・マル」だと思ってきた。
時に人は海を悪くののしることもあるが、その言葉もあたかも海が女性であるかのような言い方をした」
「若い漁師たちの中には海を男性的に「エル・マル」と呼ぶ者もいた。そういう連中は海を闘争相手または単なる場所、あるいは敵とさえ見做していた。でも老人はずっと海は女性のようだと考えている」

「ある時は大いなる恵みを与えてくれるかと思えば、ある時は気まぐれにそれを引きもめる」
「海が人間の女性と同じように、月の影響を受けるのもそうだ彼はそう思っていた」
コヒマルにはほとんど男しかいない。

「誰がために鐘は鳴る」以来、これと云った作品が発表されないまま、10年以上が過ぎた。
もうヘミングウエイは終わったという評判も出始めた。そんな時、1952年2月号LIFEで、衝撃的ヘミングウエイの新作が発表された。それは文学誌ではなく、大衆写真誌[LIFE」による一挙掲載だった。
タイトルは「老人と海」532万部はあっという間に売りつくされた。この小説が翌年にはピューリッツアー賞、さらによく1954年ノーベル文学賞を受賞することとなった。

















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