歴史
(略史)
古くからトリポリタニア地方に移住してきたフェニキア人の都市が繁栄。
7世紀 | アラブに征服され、イスラム教が広がる。 |
16世紀 | トルコ人が進出、オスマン・トルコ帝国に併合、 |
1911年 | イタリア・トルコ戦争の結果、イタリアが植民地にする |
1943年 | 第二次世界大戦中の激戦区(北アフリカ戦線) |
1945年 | イタリアの敗戦により、戦後はイギリス・フランスの共同統治領となる。 |
1951年12月 | トリポリタニア・キレナイカ・フェザーンの3州からなるリビア連邦王国(イドリス王国)として独立 |
1959年 | 石油が発見される |
1963年 | 憲法改正により連邦制を廃止 |
1969年9月 | 9月1日革命、カダフィ大尉(当時)率いる「自由将校団」が無血クーデターを成功させ、リビア・アラブ共和国に改称。 王制から共和制に国政が移行。 |
1977年3月 | 人民主権確立宣言(ジャマーヒリーヤ宣言)発表。 直接民主制に移行。 社会主義人民リビア・アラブ国に改称 |
1979年 | 米国、リビアをテロ支援国家に指定 |
1986年1月 | 米国対リビア経済制裁措置発表 |
1986年4月 | 米軍等がリビア爆撃 |
1988年12月 | スコットランド上空で米パンナム機爆破事件(ロッカビー事件)。 容疑者として、2名のリビア情報機関員の身柄引渡しを要求。 |
1989年9月 | UTAフランス機爆破事件、 容疑者としてリビア人4名を国際手配 |
1992年3月 | 国連安保理でパンナム機事件などにリビアが関与したとして対リビア制裁決議748採択 |
1993年11月 | 国連安保理で対リビア制裁強化決議883採択 |
1999年4月 | 国連安保理でリビアがパンナム機事件の容疑者を国連側に引き渡し、対リビア制裁の停止を発表 |
2003年8月 | リビア、パンナム機事件の遺族に補償金支払い開始 |
2003年9月 | 国連安保理で対リビア制裁の解除を発表 |
2003年12月 | カダフィ大佐が、鎖国的な方針から転換。 大量破壊兵器計画の廃棄を約束、国際機関の無条件査察に合意を発表 |
2004年1月 | CTBT批准、CWC加入 |
2004年 | 国名を大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国とする。 |
2004年10月 | 米国が対リビア経済制裁措置を解除 |
2005年 | 新規油田の開発と既存油田のリハビリに積極的に取り組み国際入札を行う。 |
2006年6月 | 米国、リビアをテロ支援国家リストから削除 |
2006年8月 | IAEA追加議定書締結 |
2011年2月 | チュニジアで始まった「アラブの春」が隣国リビアにも波及。 変化を求める国民が台頭。 カダフィ打倒を旗印にしたリビア国民評議会が結成される。 これを抑え込もうとするカダフィ政権側の間で内戦に突入。 NATO(北大西洋条約機構)などが軍事的介入。 |
8月23日 | 評議会軍(反カダフィー勢力)により首都トリポリが陥落し、カダフィ政権軍が敗退 |
10月20日 | カダフィは殺害され、42年間続いたカダフィ政権は崩壊に至った。 カダフィ政権崩壊後、国内が分裂しており、部族間で民兵団の武装組織が結成され、治安の悪さが進む。 |
2012年9月 | 米領事館襲撃事件が発生し、大使が殺害される。 日本をはじめ各国大使館も閉鎖を余儀なくされる。 |
2014年 | 各地でイスラム系武装勢力の攻勢が活発化し、政府の支配権が弱まった。 |
2014年7月14日 | トリポリ国際空港がイスラム勢力に奪取され、ロケット砲による大がかりな戦闘が続き、多くの航空機が破損する。 |
2014月28日 | トリポリ市内と空港を結ぶ道路の途中にある大型石油貯蔵施設が被災し大規模な火災が発生。 |
2014年10月上旬 | 過激派組織ISILが東部の市街地に勢力を拡大させていく。 |
2015年2月 | エジプトから出稼ぎに来ていたコプト教徒21人がISILを斬首する映像がネットで公開される。 |