エチオピアの歴史
エチオピアの歴史年表
BC1000頃 | 南アラブよりセム族侵入/シバ女王とソロモン王の伝説 |
BC100頃 |
メネリク1世によりアクスム王国創設 エジプト、インド、イタリアなどと交易がはじまる。 |
AD300頃 |
クシュ王国を滅ぼし、アクスム王国の最盛期を迎える。 エザナ王が近隣諸国を征服 |
330年 |
エザナ王がキリスト教を国教とする。 アクスム王国の領土はアラビア半島南部にまで拡大。 |
523年 | アラビア半島がイスラム勢力による攻撃により、紅海の主導権を奪われ、アクスム人南下し、領土が縮小。 |
12世紀頃 | ハム系アガウ族との衝突でアクスム人は滅亡し、アガウ族がザウゲ王朝成立。 |
1270頃 | ソロモンの血統であるアムラクによってザウゲ王朝滅び、メネリク1世の流れを組むソロモン王朝が成立。 |
12-13世紀頃 | 国王ゲブレ・マスケル・ラリベラによりラリベラの岩窟教会が建設される。 |
16世紀頃 |
ソロモン王朝はポルトガルと連合し、イスラム勢力を破るが、イスラム教徒の台頭により戦乱の時代となる。 ハム系遊牧民ガラ族により、ソロモン王朝は北方へ追い込まれる |
1636年 | ゴンダールに首都が固定され、地方勢力が強くなる |
1855年 | テオドロス2世がが即位、エチオピアの再統一をはたす。 |
1868年 |
通商条約を巡る紛争でイギリス軍と交戦。 マグダラの戦いでエチオピアは敗戦し、テオドロス2世が自決。 イギリス軍は引き上げる。 |
1871年 | ヨハネス5世が国王に即位。 |
1887年 |
エチオピアにエリトリアを植民地としていたイタリア軍が侵攻。 エチオピア軍はこれを阻止 国王ヨハネス5世は首都をアディスアベバに決定。 |
1889年年 |
メネリクス2世が国王に即位。 イタリアとウッチャリ条約を結ぶ。 マレブ川北部のイタリア支配を承認。 |
1890年 | イタリアが北エチオピアをエリトリアと命名 |
1896年 | 現在の国境確定 |
1916年 | ザウディトゥが即位 |
1923年 | 国際連盟加入 |
1930年 |
ハイレ・セラシエ1世即位 日本とエチオピアの修交通商条約締結 |
1931年 |
エチオピア帝国憲法制定 奴隷制度の廃止 |
1935年 | イタリアがエチオピア侵略を開始 |
1936年 |
首都アディスアベバ陥落。 イタリアがエチオピアを併合。 皇帝はイギリスに亡命 |
1941年 |
アディスアベバ
イギリス軍の援護によりイタリア軍を破り、アディスアベバを奪還。 ハイレ・セラシエ1世がにアディスアベバ帰還 |
1952年 | 国連決議によりエリトリアがエチオピア連邦に参入 |
1955年 | 新憲法公布 |
1962年 |
エリトリアを併合。 エリトリア解放戦線(ELF)発足 |
1974年 | 革命が起き、王制廃止。臨時革命軍事政権が社会主義国家建設を宣言 |
1977~8年 | オガデン紛争(ソマリアと交戦) |
1987年 | エチオピア人民民主共和国樹立、メンギスツ・ハイレ・マリアムが初代大統領に。 |
1991年 |
エチオピア人民革命民主戦線がアディスアベバ侵入。 メンギスツ政権の崩壊。 エチオピア暫定政府成立メレス・ゼナウィが大統領に |
1993年 | エリトリアがエチオピアより分離・独立 |
1995年 | エチオピア連邦民主共和国樹立 メレスは首相になり、ネガソ・ギダダが大統領に |
1998年 | エチオピア・エリトリアと国境を巡り武力衝突 |
2000年 | 対エリトリア戦争の終結、包括的和平合意成立 |
2002年 | エリトリアとの国境線確定 |
2005年 | 第3回国会選挙 |
2010年 | 第4回国会選挙 |