概要 エフェソスEphesusの都市遺跡見学の玄関口となる町。 街から約3kmに位置する。 とはいえ、多くの旅行者は、ここに滞在してしないで、1時間離れたイズミールやエーゲ海沿岸のリゾート都市に滞在する。 ツアー客はイスタンブールから空路イズミールへ到着後、エフェソス遺跡の観光をしたのち、パムッカレ方面に東進するか、ボドルム方向へ南進してしまう。 ホテルもセルチュクには限定的で、高級なものが少ない。 エフェソス博物館 Ephesus Museumはこの町に位置する。 エフェソス遺跡の中心地から離れているアルテミス神殿遺跡 Artemisもこの町から近いところにある。 アクセス 空路: イスタンブールからイズミール Izmirまで毎日数便就航している。 空港: イズミル・アドナン・メンデレス空港 Adnan Menderes Havalimani(コード:ADB)。 空港内の鉄道駅からセルチュクへの直通列車が。約1時間。 バス: イスタンブール・エセンレルから朝便、夜行便が23便運行されている。 鉄道: イズミル市内から空港経由で1日5便運行されている。 セルチュクの交通機関 エフェソス遺跡へはセルチュクのバスターミナル(オトガル)からパムジャックヘ行くバスがエフェス遺跡北入口を経由する。 クシヤダス、プリエネ、デイデイム、ミレトなどのエーゲ海沿岸都市へのミニバスや乗り合いタクシー(ドルムシュ)などが出ている。 オトガルは観光案内所から通りを渡ったところにある。 バスによっては、イズミル発となっており、オトガルに入らず、オトガル前のアタチュルク通りに停車するだけなので分かりにくい。 見どころ エフェソス(エフエス) Ephesos 聖ヨハネ教会 St.John(Aziz Yahya)Kilisesi 町が一望できるアヤスルクの丘にある。 ヨーロッパからの旅行者に人気の場所である。 キリスト12使徒のひとりヨハネがエルサレムを追われた際に、聖母マリアとともに晩年をこの地で過ごしたといわれている。 4世紀に造られた墓に、ヨハネの亡骸が横たわっていると、信じられていた。 6世紀にビザンチン帝国皇帝ユステイニアヌス1世が荘厳な造りの聖ヨハネ教会に変えたがそれが後のセルジュク朝に再建されモスクとして使われていたという。 中庭を通じて6つのドームをもつ本館が建っていたが現在は崩壊してみることができない。 現在見ることができるのは壁、円柱、床のモザイク画だけ。 白い大理石の一角がヨハネの墓所になっている。 市内中心地から徒歩8分. エフェソス考古学博物舘 Efes Arkeoloji Muzesi: セルチュク観光案内所の向かい側にある。 エフェス遺跡からの出土品約2万5000点以上のうち約1000点を展示されている。 遺跡の復元図もある。年中無休 アルテミス神殿 Artemis Tapinagi: 市内から徒歩20分,エフェソスとセルチュクの中間地点にある。 世界で一番美しい神殿といわれていた。 古代の世界七不思議の一つといわれていた。 現在は神殿内には一本の円柱が残っているだけだが、オリジナルは、直径1.2m、高さ19mの大理石の円柱が127本使われ、そのスケールはアテネのパルテノン神殿より、はるかに大きなものだった。 最初に造営されたのは紀元前7世紀以前のことで、多産の女神キュベレ(アルテミス)を祀る神殿だが、火災や破壊などで7回崩壊し7回も再建を繰り返したといわれている。 黄金や宝石に覆われた高さ15mのアルテミス像が置かれていたが、石材の多くは後に教会やモスクを建てるために持ち出され、イスタンブールのアヤソフィアにも一部使われている。 イザ・ベイ・ジャミイ Isa Bey Camii: アヤスルクの丘のふもとにある。 このモスクは、アイドゥンの君主が1375年に、セルジュク様式からオスマン様式への移行期に建造したもの。 現在は、北東にあるミナレットの土台だけが残っている。 モスクの斜向かいには、イザ・ベイの胸像がある。 聖母マリアの家 Meryemana Evi: 聖母マリアが晩年を過ごした場所 キリスト処刑の4年後、エルサレムを追われた聖母マリアは聖ヨハネとこの地に小屋を建てて余生を送ったといわれる。 小屋の跡は1852年に発見され、新たにそこに教会を建造し、マリア像が安置されている。 市内からタクシーでエフェソス遺跡を訪れる場合には、はじめに聖母マリアの家へ行き(20分)、車を待たせて短時間で見学を済ませから、エフェソス遺跡の南側入口で降りるといい。帰りは北側入口から歩いて帰る。 水道橋遺跡 Byzantine Aqueduct ナムク・ケマル通りの東の端にある。 ビザンチン帝国の時代に造られたのもがある。 [[シリンジェ Sirince>/トルコ・シリンジェ]] |