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概要 イズミールから南へ76km、車で約1時間のところにある。 セルチュクの町からは約3kmにある。 古代ローマ時代には海上交通が発達し繁栄を極めた交易都市であった。 都市の人口は急激に増え、最盛期には、25万の人口のエーゲ海最大の都市であった。 時代とともに各帝国からの支配を受けながらも発展を続けていた。 ローマ帝国の植民地になると、アルテミスはディアナと名を変え、そしてエフェソスは、小アジア州の州都になった。 BC356年7月20日に火災で焼失した同じ日にアレキサンダー大王が誕生しており、出産に立会い、留守にしていたから火災に遭ったと人々はうわさしていた。 アレキサンダーは再建を進言している。 アレクサンダー大王の死後、イオニアを統治した大王の将軍の一人、リュシマコスの時代に港が土砂などで埋没してしまった。 遺跡には南北2つのゲートがあり、南ゲートから北ゲート方向に緩やかな坂道になっている。 多くのバスのツアーも南側から入るため、ピーク期には同じ流れで進む方がスムースだ。多くのお旅行者が北口を出口にするため、北ゲート周辺にはお土産屋やレストランが軒を連ねる。 メインのクレテス通りは、昔のままの大理石の石を敷いただけでとても歩きにくく、みんなかなりゆっくり注意しながら進んでいる。 普通の見学時間は、入口ゲートから出口ゲートまではおおよそ1時間くらいで進んでいる。 アクセス 空路: イスタンブールからイズミール空港まで毎日数本が運行されている。 イズミール空港から最寄りの町セルチュクまで列車が1日5本ほどある。約1時間。 セルチュクからは北ゲートまでは約3km。タクシーが便利だ。 エフェソス遺跡内の見どころ (南ゲートから) バスツアーの多くがこちらから入場する。 マグネシアの門: 上のアゴラ: ヴァリウスの浴場: 南の入り口を入ってすぐ見える。 紀元前2世紀に造られ、当時この街に入るものは消毒として全身に漆喰を塗り、その後浴場で体を洗ったといわれている。 ポリオの泉: 迎賓館: オデオン(音楽堂): 1400人収容できる会議場。 上部が屋根で覆われていたという。 水の館: バジリカ・会議場: 共同墓地: メミウスの碑: ドミティアヌス神殿: 1世紀、ローマ帝国の暴君ドミチアン帝にささげられた神殿で、2本の柱の間には高さ7メートルの像が立っていた。 クレテス通り: ヘラクレスの門: 左右対照の柱には半神半人のヘラクレスの像と勝利の女神ニケ像が浮き彫りになっている。 トラヤヌスの泉: ハドリアヌス神殿: テラスハウス(住居跡): 床などにモザイク画が残っている。 八角堂: アンドロクルスの墓: ハドリアヌスの門: スコラステイカの浴場: 円形の記念碑: ローマ式公衆トイレ: 娼館: セルシウス図書館: エフェソス遺跡のシンボル的存在。 1階はイオニア式、2階はコリント式の柱で造られている。 正面には知識、学識、聡明、高潔を象徴する4体の女性像(レプリカ)が置かれている。 アレキサンドリア、ベルガモと共に世界の3大図書館として知られ、約12万書の蔵書があったと言われる。 セラピス神殿: マーブル通り: ケルスス図書館からヘラクレスの門に向かって延びている大理石の道。 下のアゴラ 大劇場: ピオン山の斜面を利用して作られている。 直径154m、幅30m、観客席の高さ38mの半円形、65段の観客席には2万人以上収容人員したという。 体育館: 演劇の稽古などに使われていた。 アルカディアン通り: エフェソスのメイン通り、幅11m、長さ530m。道の両側を列柱が立ち並んでいた。 |