概要 ウフララ谷から西約12kmの標高1485mに位置する. 石造りの家、それぞれ個性的造りの教会、岩を削って造られた集落などで形成された居住区。 オスマン帝国時代には、ゲルヴェリ Gelveriと呼ばれた町だった。 オスマン系ギリシャ人のおおよそ1000世帯がここに暮らしていた。その多くが金細工職人で豊かな暮らしをしていた。 1924年のトルコ共和国誕生の時のローザンヌ条約に基づいて実施されたトルコ・ギリシア間の民族交換で、ゲルヴェリのギリシャ人たちはギリシャのネア・カルヴァルリNea Karvaliに移され、ギリシャのコザンKozanやカストリアに住むトルコ人がここに移住してきた。 ギリシャ人のキリスト教徒たちは宗教の教えに忠実に沿って十文字の基礎上に右のブロックを用いて美しいドームのある教会を造り続けていた ギュゼルユルトウ近郊には4kmにわたる「修道院の渓谷」があり、その教会や修道院の数からして、如何に大切な宗教活動の中心地であったかがうかがえる。 アシヤウAsagi教会は、385年にナジアンズスの聖グレゴリウス教会Church of St Gregolry of Nazianzusとして建てられた。 聖グレゴリウス(330〜90年)はギュゼルユルト育ちで、長じて神学者、ローマ教皇となり、ギリシャ教会の4人の神父の一人となった人物。 ギリシャ人が去って、現在はビュユク・キリセ・ジャミイBuyuk Ki1ise Camiiとなっている。 そのほか、50以上あった教会や修道院の多くが、荒廃が進んでいる。 地下都市も残されている。 |