DMZ(非武装地帯)

DMZとは
南ベトナム(ベトナム共和国)と北ベトナム(ベトナム民主共和国)の南北分裂が決定した1954年から、ベトナム戦争が終結する1975年まで、北緯17度線付近を流れるベン・ハイ川沿いに軍事境界線が引かれていた。
DMZ(Demilitarised Zoneの略)とは、その境界線に沿って、東は南シナ海を臨む海岸から西はラオスとの国境まで、南北に幅2kmずつ計4km、全長約60kmに渡って設けられた非武装地帯のこと。



見学ツアー
DMZエリアに入るには許可証が必要なので、個人では行けない。
ツアーに参加すると許可証代込みになっている。
ツアーは通常15人乗りくらいのミニバスで行く。
フエから片道約100kmある。往復の移動が長く、現地の見学時間は2時間、昼食をはさむ休憩2時間となる。
各DMZツアーともコースは1日コースで、6:30頃出発、16:00〜18:00帰着というのが普通。料金は1人US$15〜18



見学ポイント
?米軍のケサン戦闘基地跡
1968年、北ベトナム軍と77日間にわたる戦闘が繰り広げられた。
米軍は基地を死守したが、その2ヶ月後に基地は放棄された。
今は赤土の平地になっている。墜落したエアフォースや,錆びたミサイル、戦車、曲射砲、弾丸などがそのまま放置されて地面に残っている。

?ビンモックトンネル
全長2キロ,ホーチミン市にあるクチのクチトンネルが戦うために作られたのに対し、ビンモックトンネルは人々が生活するために作られたもの。
寝室,会議室,病院など,部屋がたくさんあり,まるでアリの巣のよう。赤土の粘土質で18ヶ月かけて当時の人が手で掘ったもの。
海側に何ヶ所も出口がある。中はとても狭い。

?ロックパイル
高さ230mの岩山。戦略上の重要な地点で、米軍は頂上に監視塔を設け、後に砲撃基地に拡大された。
激しい戦闘と爆撃のためか、高い木が無い。

?ドン・ハの街
フエから約70km、国道1号線と9号線の交わるところ。
1968年にアメリカ海軍の司令本部が置かれたが、北ベトナム軍の侵攻で、戦場と化した。
街の中心部近くのブロックハウス(防塞)は、最初はフランス軍が、次に米軍と南ベトナム軍が駐屯し、戦後は米軍の戦車が飾られ、バス停になった。

?教会跡
ドンハの街の中にある焼け落ちた教会跡。弾痕がすごい。

?ヒエン・ルーン橋
ドンハから国道1号線を北へ22km。ベン・ハイ川こ架かる古びた橋。
1967年までは北半分が赤、南半分が黄色に塗られ国家分断の象徴となっていたが、米軍機の爆撃で崩壊。
1973年に再建された。

?地下トンネル
川を渡って、ホ・クサの街で右折すると、ヴイン・モツクの地下トンネルがある。
疎開を拒み、米軍の爆撃から身を護るため地下に生活の場を求めた住民たちが掘った穴は、全長約3kmにおよぶ驚異的なもの。

?ハンバーガー・ヒル
ダク・ロン橋から南へ65km進むとアルオイ、125km進むとアシュアに着く。
アルオイには大小さまざまな滝があり、アシュアには有名なハンバーガー・ヒルがある。正式名称は937高地だが、戦友があまりにもあっけなく死んでいくので、「人を挽き肉に変えてしまう丘」すなわちハンバーガー・ヒルと呼ばれたという。

?ベトナム軍兵士の眠る墓
国道9号線から、途中の15号緑に折れて20kmほど行くと、チューン・ソン国立戦没者墓地がある。
ここに眠る北ベトナム軍兵士の数は約1万人。だが、いまだ行方不明の兵士は30万人にも及んでいる。

?墓地の5kmほど事前にあるコン・ティエン基地は、“マクナマラ電子防衛線”の拠点のひとつ。べトコンに苦しめられていた米軍が築いた砲撃基地。