三峡

概要
台北の南西約20km、古い街並みが保存された地域。
大漢渓、三峡渓、横渓の3本の川に囲まれ土壌が肥沃で、古くから先住民族が農耕生活を送っていた。

17世紀に現在の福建省安渓県の人々が鄭成功とともに台湾に渡来。彼らは故郷によく似たこの地に定住して、安渓にあった祖師廟をここにも建立した。

灌漑によって農業が盛んになるとともに、河川を利用した水上交通で物資の集積地ともなり、三峡は商業都市へと発展を遂げる。しかし、道路網が整備されると産業は次第に衰退した。

市街は昭和初期の建築を中心に古い街並みがよく残されていて、民權街には赤レンガのアーケードが続いている。

清水祖師廟は度々損壊を受け改築されてきたが、第二次世界大戦後には三峡出身の画家、李梅樹が再建の指揮をとった。廟の随所に彼の見事が彫刻が施されている。しかし、彼の描いた完成図にはまだ至らず、亡くなって20年以上経つ現在も工事が続いている。三峡渓の近くに彼の作品を展示する李梅樹紀念館がある。kj