概要 クチンという町の名は、この地方でよくとれるマグクチン(中国名=龍眼)にちなんでいるという。 また、マレー語の猫を意味するクチンからきているとか、中国語の港を意味するコチンからきているという説もある。 貴重な野生動物を背後にもち、天然資源に恵まれたボルネオ島の玄関都市。 熱帯のジャングルから流れてくる豊かなサラワク川の流れがクチンの町の中央を貫いている。 川はジャングルで採れる貴重な天然資源を運んできた大動脈。 川に岸辺に中国人たちが交易都市を築いたのがクチンの始まり。 町の南と北を隔てているサラワク川を渡る主な交通手段は昔ながらの渡し舟だけ。 19世紀半ば、川の北側には王の住居だけだったので一般庶民のための橋をかける必要がなかったという。 おかげで21世紀になった今もサワラク川にはのどかな風景が残されている。 ボルネオ島には、紀元前にジャワ島やスマトラ島から渡ってきたマレー人が定住を始めたという。 町のほぼ中央には、ランドマークのクチンモスクが堂々と建つ。 5〜6世紀にはこの島の豊富な資源を求めて中国商人が訪れるようになってきた。 ボルネオ島の北東部ではグクプトラ?という先住民を含めたマレー系の住民が約7割を占めていた。 マレーシアの国教イスラム教徒はこの島ではまだ少数派である。 クチンは世界的にも知られる香辛料の産地である。 中でも胡椒の風味と味は世界一といわれている。 町から数キロ離れたところには、マンローブが生息していて、さまざまな命をはぐくみ続ける大自然が都市と隣り合わせにある。 ジャングルには地球上のすべての生物のおよそ半数の種の生物が生息しているという。 そこに久利ひ遂げられる命の営みに人の力ははるかに及ばない。 マレー語で森の人を意味するオラウータン。森の伐採など自然の変化から絶滅が危惧されている希少動物である。 親と子の間で交わされる愛情表現など、人間らしいといわれている。 ジャングルの存在は植物の生育にも大きな影響を持つ。ここでは、自然蘭の書類も豊富である。 この町の近代史は1839年から始まる。 当時、小国同志の争いが絶えなかったボルネオで、イギリス人ジェームズ・ブルック(1841-67在位)はクチンの争いを鎮めることの見返りとして、この地の王として統括することを許された。初めての白人の王が君臨したわけで、以後白人支配が3代にわたり約100年間続いた。 第2代目は、チャールズ・ブルック(1867-1917在位)、第3代ヴァイナー・ブルック(1918-46在位) 白人の王たちは原住民の争いを治めただけでなく、原始的社会に近代的文明を導入した。 現在のクチンの基礎は、白人王の功績によるものである。 3代による白人のもとに町は急速に変化を遂げた。 草ぶきの小屋や椰子の葉で造った長屋風の建物が並ぶ町並みに重厚なコロニアル風の建物が次々と建てられた。 1839年、初代ジェームズ・ブルックが初めてこの地を訪れた当時、わずか1000人だったクチンに人口はその後の30年間で2万人にまで急速に膨れ上がった。 初代ジェームズ・ブルックの遺志を継ぎ、クチンを愛した2代目の王チャールズ・ブルックは、40歳の時に一時イギリスに帰国し、うら若き女性マーガレットと結婚した。 王妃となったマーガレット・ブルックが初めてやってきたとき、彼女にとってこの地は心にけがれない人たちの暮らすおとぎの国のように思えたという。 クチンの町に流れる雰囲気はイギリス風の基本と格調の高さが残る。車のクラクションの音は全く聞こえてこない。Qmz アクセス 空路: 日本からの直行便はない。 コタキナバルまたはクアラルンプール経由となる。 クアラルンプールから1時間45分。エア・アジアなど1日10便ある。 コラキナバルからは1時間30分、1日2便ほど。 空港: クチン空港 Kuching Airport (KCH) 市内まで11km、車で約20分 空港から市内へはバスが1時間に1本あるが、オープンマーケット近くまでとなる。 タクシーは到着ロビー内でタクシークーポンを購入して利用する。 市内までRM20暗い。ダマイビーチまでRM50くらい 見どころ 北区シティホール: ここには世界的にも珍しい猫の博物館がある。 古代エジプトの逸話では、飼い猫が死んだときには、飼い主が自分の眉毛を剃り、ふたたび生え揃うまで喪に服した、時には猫はミイラにされたともいう。 中国では人間に身近な猫が干支に含まれていないことからもわかるように、大切な動物と考えられていた。 この町の中華街に入口にも「白い猫」の像が鎮座している。 日本では猫は西暦1000年ころから民話に登場し始める。飼い猫としただけではなく、招き猫などさまざまに姿を変えながら世界に類をみないほど人間と深くかかわってきた。 毎年8月第1土曜日には、猫まつりが開催され、猫の仮装行列などが行われる。 この猫の博物館はクチンの町の資料館でもある。1839年ころからの貴重な写真資料が展示されている。 サラワク博物館: 進化論で有名なダーウィンの友人であり、協力者でもあったアルフレッド・モーリスがボルネオの生態系を研究中に邸宅として使っていた建物。 ブルック王家3代のさまざまな資料が保管されている図書館となっている。 イスタナ: 川辺のこの建物は、第2代目の王チャールズ・ブルックが王妃マーガレット・ブルックのために建てた宮殿。 王妃は芝生に囲まれたこの宮殿での暮らしより、心をとらえたのは、自然に恵まれたクチンの町とここに暮らす人たちの素朴な姿だっという。 マルゲリータ砦: スクエアタワー: 1879年に建てられた砦の1部だった。 サラワク川に面したこの白い建物は刑務所として使われたのち、現在では音楽堂として利用されている。 ムルデカ広場: 第2次世界大戦後、マレー連邦となってイギリスに支配から独立したことを祈念する広場。周りには英国様式の建物が残る。 クチンモスク 1968年に完成した市内代々の建造物 ネコ博物館 Cat Museum; クチン北市庁舎内に設置されたユニークなギャラリー。 クチンとはマレー語で猫の意味から、猫にまつわる様々なグッズが展示されている。 規模は大きくないが、古代エジプトの猫のミイラや、その昔流行った”なめ猫“パネル、招き猫、ドラえもんなど日本からの展示品も置かれている。 無料。カメラ持込RM3、ビデオ持込RM5 |