概要
首都ニューデリーを擁する人口1千万人を超える大都市。「デリー」は、数多くの歴史的建造物が残る旧市街・オールドデリーと計画都市であるニューデリーの総称。~^ ヤムナー川の西岸に位置するデリーには紀元前1000年頃から人々の定住が進んだといわれ、10世紀にヒンドゥ教徒のラージプート族が要塞を築き、都市を形成した。
しかし、西方からのイスラム勢力に脅かされるようになり、12世紀末に街は陥落。以降は歴代のイスラム王朝が拠点を築くようになった。
特に16世紀以降、3世紀に渡って続いたムガル帝国は栄華を極め、ラール・キラーなどの遺産が今も残されている。
19世紀半ばにムガル帝国が滅亡した後は英国がインドを統治し、1911年にはコルコタからデリーに遷都。それにともない旧市街の南に首都機能を持つ都市建設が進められた。
1931年に完成した首都ニューデリーは、コンノートプレイスやインド門を中心に道路は整備され、随所に緑の公園が配置された整然とした街並みである。国会議事堂、大統領官邸をはじめ、各国大使館、主要ホテルもこのエリアにある。kbt
(ニューデリー)
南部にありヤムナー川に面する街。1911年にイギリスの手で建設が始まった都市で、これにより、首都機能はここに移った。議事堂、官庁などが集まっているインドの政治・経済・文化の中心。人口30万人。
(オールドデリー)
昔からある街。歴史的建造物が多い。


空港
インディラ・ガンジー空港Indira Gandhi International Airport、コード;DEL
旧名はパーラム国際空港 (Palam International Airport)。
国内線は6km離れたパーラム国内線空港 (Palam Domestic Airport) を使用するが、両港は離着陸に使用する滑走路を共有している。
(市内への交通)
プリペイド・タクシー Rs240+荷物代
ツーリスト・タクシー Rs300〜
バス 20分間隔、24時間運行。パーラム空港までは無料、Connaught PlaceまでRs50
市バス 780番 Rs10


市街地
ヤムナ河畔の町。


観光ポイント
コンノート広場
オールドデリーの中心地で、ここから10本の道が放射状に延びている。

ラクシューミナラヤン寺院; 
ビルラ・テンプルとも呼ばれる。

インド門
高さ42m、東西を向いている。
第1次世界大戦戦没者8500人の慰霊

ラール・キラー(英語名;レッドフォート)
長さ2.4Km、高さ約18m、
町の北側約3、3km。

2つの門(ラホール門、デリー門)
毎年独立記念日にはここで首相の演説が行われる。

クトゥブ・ミナール Qutub Minar
イスラムの招致を記念して建てられたインドで最も高い塔(73m)
奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属して建てられたもの。
おそらくはヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院などを破壊し、その石材を転用して制作されたもので、建築に携わった職人もヒンドゥー教徒であったと推測されている。そのため、ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となっている。
一帯の遺跡群は1993年、世界遺産に登録(登録名:デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群)されており、モスクやアショーカ王の柱などがある。

フマユーン廟 Humayun's Tomb
インド・デリーにある、ムガル皇帝フマーユーンの廟。
その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えた。フマーユーン廟は、フマーユーンの死後の1562年、ペルシア出身の王妃ハミーダ・バーヌー・ベーガムが建築を指示し、伝えられるところによれば、サイイド・ムハンマド・イブン・ミラーク・ギヤートゥッディーンと父ミラーク・ギヤートゥッディーン二人の建築家によって8年の歳月を経て完成された。

マトゥーラ考古学博物館
ガンダーラ美術と並び賞されるマトゥーラ美術の宝庫