許 昌(きょしょう/ Xu Chang/ シーチャン)

概要

三国時代の武将曹操が洛陽からここに都を遷したことで有名。遷都の理由は洛陽が戦乱で荒廃していたため、
三国志の関する遺跡が多く集まっている地域。


データ

管轄区域
許昌市

面積
4,977 km2

人口
445 万人


アクセス

鉄道

鄭州から45分、頻繁に発着している。

バス

商丘から5時間30分


見どころ

春秋楼
関羽が下ヒの戦いにより曹操に降った際、居住していた場所
関帝廟とも呼ばれている。
大きな関羽像が立っている。

覇凌橋

文峯塔

受禅台

毓秀台
三国時代の武将曹操が献帝の為に造った祭壇。献帝は毎年秋分に文武百官を引き連れて天に祈りを捧げた。
高さ15mの台上には天爺廟がある。

伏皇后墓
献帝の妻・伏皇后。出身は諸葛亮と同じく琅邪、今の山東省・臨沂。
曹操の暗殺を企てるが事前に漏れ殺されてしまった悲劇の皇后。殺されてこの地に葬られた。

華佗墓
中国の歴史上も最高の名医とされた華佗もまた曹操によって殺された。

董妃墓

漢荀氏八龍塚
三国遺跡の一つ
後漢朗陵侯・荀淑とその八人の息子の墓。
荀彧の死後、曹操によってこの八龍塚に移葬されたという説もある.

王允墓
『連環の計』によって三国志の名場面を演出した王允の墓。

漢愍帝陵

漢魏許都故城

漢張公祠
別名、張飛廟。
劉備・関羽・張飛が献帝に謁見する際に駐在した地。劉備・関羽、清代の包公も祀られているため包公寨とも呼ばれている。

伏完墓

馬騰墓
馬騰は曹操に征南将軍に任命され、都におびき出されて殺された。馬騰墓に関する情報は許昌博物館にある。

徐晃墓
徐晃の府第(屋敷)があったとされる場所。

徐母墓
劉備軍初代名軍師・徐庶の母親の墓。曹操に捕らわれた後、徐母は自殺。この地に葬られた。

毓秀台


近郊